"人間関係

日付を跨いだ今日は地元世田谷区、たまがわ花火大会をアルバイト先の居酒屋が出店するということで手伝ったのだった。前日に横浜のビアガーデンという一人では決して選ばないところで慣れないアメリカンフードと飲み放題にビールやら甘いお酒を貧乏癖によりしこたま飲み、頭痛と吐き気に迎えられて今朝を迎えたのは新子安。ギリギリに邸宅を出てさんちゃにつき、10〜12時まで魚屋を体感したり西友の階を奔走したりで13〜20時までは懐かしい二子玉川(にこたま)河川敷で陽に照らされ帰り、帰宅したのが0時前だ。もうねむい。つかれた。要点だけにしよう。まず人間関係とひとはよく言うが、人間関係人間関係、それほどヒューマン=人「間」すなわち人は他人との「間」で生きているから「人間」なんだそうだ「人間関係」だという人がどれほどみのまわりにいるだろうかと主観的に見ようとすれば、その数の少なきことよと思うてしまう。黙っておなじ場所にいておなじ空気を吸うことで大切な人を見守ろうとするから人間関係なのであって、ハナっから「人間関係」が大事だから大事にしようと言う、言い散らす、宣言するのはマラソンだから走ることをがんばろうと言う、言い散らすのとおなじくらい野暮で腹の立つほど意味のない行為だというのは当然で、けれど存外、今と眼前の他人を見やって思いやることのできる気持ちとその持ち主は、それこそ存外いないようでいることは分かっているがなかなかどうして自分本位に世界を見ていると感じられないものである。それゆえ人間関係を"人間"関係としたかったところをカギカッコをこうしてつけるのは憚られると一度あたまのなかで外し、しかしどうだと反転し、"人間関係、と落ち着いた(落ち着かない表記だ)はじまりはいつも雨、雨上がりの夜空に、小林賢太郎、戸田さん、かんそう、災害のこわさ、おやすみ

 

 

鉄の箱のなかで

金沢文庫」とは変な名前だと思っていたが、どうやら鎌倉時代武家階級の教育機関に関係しているらしい。

 

ふと危ない宿命を背負いながら今その内にすっぽりと入ってしまっているブラックボックスの存在を自覚する。その箱の中にいるときには何という為体であろうか。ひたすら今一度の娯楽に興じようと促してくれるその部屋のことを、内側からただその景色を見やることすら諦めている鉄道のドア越しに思いやった。

 

「期待」という言葉は諦念が側にある者が発する以外には、虚しく響くばかりとは、米澤穂信クドリャフカの順番』に教訓めいて語られていた。「努力」は未だそれの足りない者が使うんだろう。

 

なるべく鉄の箱に気付かれないように日々と場所を横断しながら、ブラックボックスにのみこまれないうちに外へ出よう。

 

ひとりの夜は

声が聴きたい

飛び乗る電車 会いにいく

デスクワークも

ご機嫌とりも

投げ出してこう

夢の国へ 行ってみたい

愛を知る Have a nice day

(Have a nice day! /LUCKY OLD SUN)

 

うだる暑日

2017.7.11

 

焼き鳥とビールが欲しくなった夜だったこの日したことは、もう塗れるところなんて全くない自分の身体に嘘という名のペンキを塗り重ねて塗り重ねられたせいでもう気を失っているところに約束を破り、大切な自分のものを壊して、マスキングテープの応急処置。悲惨な逃走をしながら泣く泣く落し物を取りに片道1時間半かけて向かう始末。

 

 

進展したことはない。笑えるほどどうしたってこうも暗い文面になってしまう日常をそれでもなんとか前転させようといま一瞬思えたのは、この親指を動かしたから。連動する液晶と親指ときもち。躍動感のある日々は身体を動かすことから始めよう。ラブライブカウンセラーの回のダラケ!を見てそう思っている場合ではない。

 

トマトの塩漬けがニンニクを入れたことによりトマト感が消え失せ、塩を入れ過ぎたことにより超絶しょっぱくなってしまった。パスタにカレーに、調味料だ。

 

青いトマト、黒いシチュー。

GスポットのGは発見したドイツの婦人科医の名前から。大森北は道が入り組んで家が多すぎる。夜の自転車は気持ちがいい。ゆっくり走るといい。

 

胸の端っこで大事にするんだよ

関取花/もしも僕に

人生なんてそうさネタ探し

楽しんだもん勝ち 

そういうもんだよ

なんで引き受けてしまったんだろうということの積み重ねでとりわけ3年次からの大学時代の僕は構成されている。こんな他人事みたいな言い方を試しにしてみているだけだから、とまた見えない誰かに気を遣ってしまう。自分の大切に思っていた人と自分に好意を寄せていた人を結果的に傷つけたことによる反動で、自分もダメージを受けて、それがなんだかずっと続いているような二年前くらいから今までが。こういういろんなことを自分の所為じゃないと今になってもまだ思いたがる自分に嫌気がさす、そんな気持ちにもとうに飽きた。今週家族には告げようと思う。大学六年目に入ろうと思うと。こうやって世田谷の家で半日くらいのんびりしていると、引きこもり的自意識まみれな僕が現れてくる。部屋には未読の本が無際限に少しづつ着実に増えている。その部屋の中にある、家の中での僕の大体の居場所である若い力を持て余して死んだような僕が眠るこのベッドの上から、ここは僕の帰ってくる落ち着く場所というよりこの今生きている世界の中でほとんど唯一の逃げ場所と言う方が適切なんじゃないかと思ったりする。だから同時に少し家を出ようと思うことも伝える。鴨居もまだ確実じゃないけど、きっと大丈夫かな。そうでなくても同じ世田谷は上町の祖母の家でもいい。少しの本と服とパソコンと携帯さえあればひとまずいいかしら。今まで引き取ってきた過去はその時々で今の自分が「必然的」だと思う人と出会い、選んできた物事で。僕は確かに横浜の内陸の丘の上のあの大学に通うためにこの豪徳寺から抜け出してきたけど、出会いも出来事も、まるでそれはこの家の寝床からテレビのリモコンを手を伸ばして取るように、ぬくぬくとした場所から膝を曲げて力を溜めるまでもなくジャンプするような感覚で選んできたのかもしれない。時々帰るけれど、という場所を捨ててみようと思う。覚悟を決めて人と出会い、物を選び、事を進めたい。隣の芝生はいつだって青いけれど。ついでに何なら全体これまで立つ鳥跡を濁してばかりだったけれど。立つ鳥跡を濁さずでうまくやれよ。そんな今、思ったこと感じたこと僕が見た景色聞こえた音どんなことでも共有したくなる女の子に出会って。27宿曜占星術に書かれていたのは、欠けているところを補え合える正反対の云々。占いなんて都合よく使ってしまえと思う。吹きすさぶ痛いくらい寒い風の通る電車のホームで退屈しないようにと思いながらも気を張らずに過ごした何気ない時間を、そんなこと言われなければ知る由もないけど実はなんだか大層大切に思ってくれていた。こんな風だと思わなかったと言われたけど、その子を強く抱きしめた時に僕の身体がこんなに寂しくて弱くて誰かを求めているということを、知っていたはずだけれど本当に改めてというか、教えてもらったような気がする。初めて、もっと日常を、二人それぞれの普段を二人で一緒に過ごしたいと思う人と出会えた。その人とその人といる自分を大切にする、そのことだけでも大事にしていけたら、これから先の酉年としおとこの2017年は去年よりもいい年になる。野暮なことが言える人なんてそういないさ。もっともっと訳の分からない理屈じゃないおもろい私を再興するために日々生きる、けどそのペースはまわりの人より遅いかもしれない。それでもこんな僕とこれからをまた、よろしくお願いいたします。神様へ。

 

書きなぐり年初め(2月に入ったらもう新年系ワードの使用は控えよう、古い)

 

浴室のひらめき(書いてる途中で寝ちゃって日をまたぎました)

2016/11/28/深夜

 

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『Duel Links』言わずと知れた「遊戯王」のこのスマホゲームに両足ツッコミどハマりしていた昨日までには想像できないほどなぜか気分的に飽きてしまって、日付けをまたいでから遅めのシャワーを浴びた。そしたら、今週末の(もう12月…)光明寺合宿での企画について突然、降って沸いたように脈絡なく湯水のようにアイディアが浮かんだのでここに。

 

 

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そういえば僕は昔『探検隊』という遊びをやっていた。

主にそれは、小中高ずっっとサッカーをやってきた中で唯一怪我で長期離脱した小学校5、6年の時のことだった。走って10秒のところに住んでいたクッキーと電車が大好きなちょっぴり太めのまることかと、よく近所を自転車で走ったり、小田急線の子供料金で箱根に行ったりもした。

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普段はそうやってオンボロのクッキーの家の中をあちこち探検したり、近所の空き地を探しては秘密基地にどうか、なんて話して。たまに週末遠出する時は数人女の子もいたりして、クッキーと遠足のしおりを作ったりと、普段つるんでたサッカー少年グループにはよく馬鹿にされたけど、たぶんきっと今でも思い出せるくらい楽しい時間だった。それは一人でゲームをしていたり勉強したりするより、もしかしたらサッカーするよりもずっと、刺激的なあれこれだったかもしれないくらい。今になってそんな風に思う。そんな思い出が、合宿一週間前を切った今、僕にひらめきを注いでくれました。

 

 

 

以下、今のところ3本立て。

【場所】舞台は裏山(何山だ?)裏山全体が「秘密基地」構想

【演出】光明寺付近一帯(裏山中心)の白地図を各隊員(班員ではなく隊員と呼称)に支給

【企画的な】2日目に「嫌いな食べ物」を焚火で焼いて食べてみよう

 

 

 

まず【場所】裏山全体が「秘密基地」構想(保険かける)

 

最初イメージしてたのは箱庭的な、どこか一つの小さなスペースに班員みんなでひしめき合ってる感じだったんだけど、愛菜と回ってみていくつかいい場所があったから、もういっそ「裏山全体が秘密基地」って気構えでいた方が、もし一ヶ所に収まりきらなくてもいいかなと。四人いるし最大4拠点くらい。(「あそこがいいここがいい」って分裂状態)まあでも出来ることなら一ヶ所にデッチリ拠点構えたいけどね、くらいで。

 

 

 

次に【演出】光明寺一帯の白地図を各隊員に支給

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班員全員に光明寺の裏山を中心とした白地図を当日最初に支給する(作ろうかな)。ミニしおりみたいにしてビニル紐通して首からかけれるようにするとか工夫して。それを手に今どこにいるか確認しながら場所探しをしたらいいんじゃないかなって。ここにはテレビが落ちてて蔓が伸びててここ登ると裏山の頂上だよって説明するときにも使えるし、それこそ「めぐる」の活動みたいに合宿二日間を通してここには何があったとかって自由に書き込む作り上げる地図になってもいいと思うし。終わってその地図見ながらまた遊びに来れるくらいに。そういう演出してもいいかなと!

 

 

 

最後に【企画】「嫌いな食べ物」を焚火で焼いて食べてみよう

 

合宿で”未知を体験する”を直接体験できそうなトライの一つが、みんな一つは絶対ある「嫌いな食べ物」を冬の寒い外の空気に包まれながら焼いて食べてみたら実は美味しいことに気付いちゃってラッキー!仮に「光明寺合宿で裏山で焚き火して食べた椎茸がとても美味しくてそれ以来椎茸食べれるようになった!」みたいな経験ってきっとずっと残ると思うし椎茸食べるたびに思い出すし。合宿始まる最初のタイミングでみんなの嫌いな食べ物聞いてもいいかなって。もしやるなら朝鎌倉にその食材(野菜とか)を買いに行きたいくらいなんだけど。1日目でもいいか。実際僕もホタテが嫌いだったけど小4くらいのサッカー合宿で、海辺で(もしかしたら秋頃の大きい公園のBBQ場だったかも)お父さんたちが焼いてくれた特大のホタテを食べて以来そのうまさに感動して食べれるようになったことをいまだに覚えてて。そういうこともできたら万々歳かなと思いました。

 

 

 

備忘録

瑛夢、心優、慧太郎、瑠衣、なな、寅二、愛奈、亜希子、晃、数貴

2班の軸になる思い⇨想像力を持って子供と向き合う

「何を思って感じて考えて今言葉を発して行動してるのか」を想像しながら子供と関わる

⇨だんだん相手のことがわかってくる

⇨関わり合いがスムーズになる(言葉にせずとも分かり合えるような)

⇨お互いの知ってることや遊びを共有しやすい関係性が生まれる

これを繰り返していけば、こういう空気感が班の中に生まれて、子供達にも「相手の気持ちを想像する」姿勢みたいなものも伝染して、お互いにすごく過ごしやすいグルーヴ感みたいなものが生まれるんでないかという希望です。

 

想像力を持って子供と向き合う。は

てらこやでいうところの「子供と一対一で関わる」を言い換えただけだと思うんだけど、

一応今回の指針というところでみんなでがむばりましょう。

 

 

追伸

一週間前計画始めました。月曜日は大船のてらハウス近くの布屋の前にワゴン売りされてた柄布を500円で買いました。火曜日はAM0時過ぎにこれを書き始め、水曜日はこれを書き終えます。木曜日は白地図を作って(予定)、金曜日は身辺整理(合宿準備)の予定です。自分の中でのカウントダウンをしていこうかなと思い立ち何かして当日までに、精神的に気持ちの距離を合宿から広げないようにと。おしまい

大船から海を目指す。

先週金から月、火、水という逃避行。なんとか言い訳をして来週月曜に調整が目下の最優先事項だ。この週末以来の久々の巣脱出で吸った午後の豪徳寺の空気はまるで平和で、この先ずっとこの場所はこんな風に平和な空気に包まれて、世田谷線が走り続けるのかもしれないなあと、脳裏には中学生時代のサッカークラブの遠征で行ったであろう公園の穏やかな風景のようなものが浮かびながら、そんな生まれて初めて味わう感覚を得た。

 

 

この1.5年間ほどのぬるま湯に浸かり続けてきた日々を背景に考えれば当然の事、こうありたいという理想の「忙しい」姿を望めば望むほど「ぬるま湯」世界は手綱を強く引っ張ってくる。ただもうここまでくるまでもなくとうの昔からぬるま湯ナウはうんざりナウ、少し体を抜け出せばそこからの反動は早く、着替えようものならそれは素早く、駅へと走るスピードも全盛期を彷彿とさせる (いつの話だ)。とにかく過年度生である我が身の四月の平日の二日半を棒に振り、家と近所に居座っていた身体には、家を出て感じる午後の外の空気は、豪徳寺のものではあったが、なんとも緊張感に欠ける風当たりだった。家と家の外で空気が違うのは当たり前だが、これまで以上に私の体に触れる空気の差異を皮膚感覚で感じられた。そして今は神奈川県は鎌倉市行きの電車に揺られている。神奈川県と、しかしながら豪徳寺の空気もまた異物であろう。だからこその1.5年間であり、二日半なのだ。

 

 

このままずっと豪徳寺に骨を埋めるという選択肢を取る私がいるとするならばそれはどのような「私」だろうかという些細なる疑問を、この午後の日差しが夕時に変わる前にここに記しておきたいとそう思うのだ。

あれよあれよ、春真っ盛り。

大学図書館を17時に追い出され、

国立横浜森林公園を小一時間のビルディングトリップ。

総合研究棟の5階外階段から見えた、夕焼けに、

照らされた桜や緑。心を奪われる。

 

「見る」ことを恐れてはいけない。何も見えていなかったことを恥ずかしいと(少し)思っています。世界はいつでも動いていたのです。ちなみにサークルが嫌いなのは、それがホモソーシャルなコミュニティだからです。大学では同年代ばかりではなくて、もっといろいろな世代の人や異質な人たちと触れ合うべきだと思っています。「いま/ここ」という時に自由に動けないような生き方をしていると、惰性に流されて何も見ないで生きることになってしまいます。たとえ貧乏でも、孤独でも、自由にできる時間がある方がはるかに豊かなのではないかと思います。自分で自分の時間を縛りつけないで下さい。

 

四月四日四時四十四分四十四秒。

多分桜を見ていた気がする。

ある大学教授の言葉。

この大学生活に人生史上最大の期待と不安とを培養していきながら今後の春から

初夏までを、精一杯。