胸の端っこで大事にするんだよ

関取花/もしも僕に

人生なんてそうさネタ探し

楽しんだもん勝ち 

そういうもんだよ

なんで引き受けてしまったんだろうということの積み重ねでとりわけ3年次からの大学時代の僕は構成されている。こんな他人事みたいな言い方を試しにしてみているだけだから、とまた見えない誰かに気を遣ってしまう。自分の大切に思っていた人と自分に好意を寄せていた人を結果的に傷つけたことによる反動で、自分もダメージを受けて、それがなんだかずっと続いているような二年前くらいから今までが。こういういろんなことを自分の所為じゃないと今になってもまだ思いたがる自分に嫌気がさす、そんな気持ちにもとうに飽きた。今週家族には告げようと思う。大学六年目に入ろうと思うと。こうやって世田谷の家で半日くらいのんびりしていると、引きこもり的自意識まみれな僕が現れてくる。部屋には未読の本が無際限に少しづつ着実に増えている。その部屋の中にある、家の中での僕の大体の居場所である若い力を持て余して死んだような僕が眠るこのベッドの上から、ここは僕の帰ってくる落ち着く場所というよりこの今生きている世界の中でほとんど唯一の逃げ場所と言う方が適切なんじゃないかと思ったりする。だから同時に少し家を出ようと思うことも伝える。鴨居もまだ確実じゃないけど、きっと大丈夫かな。そうでなくても同じ世田谷は上町の祖母の家でもいい。少しの本と服とパソコンと携帯さえあればひとまずいいかしら。今まで引き取ってきた過去はその時々で今の自分が「必然的」だと思う人と出会い、選んできた物事で。僕は確かに横浜の内陸の丘の上のあの大学に通うためにこの豪徳寺から抜け出してきたけど、出会いも出来事も、まるでそれはこの家の寝床からテレビのリモコンを手を伸ばして取るように、ぬくぬくとした場所から膝を曲げて力を溜めるまでもなくジャンプするような感覚で選んできたのかもしれない。時々帰るけれど、という場所を捨ててみようと思う。覚悟を決めて人と出会い、物を選び、事を進めたい。隣の芝生はいつだって青いけれど。ついでに何なら全体これまで立つ鳥跡を濁してばかりだったけれど。立つ鳥跡を濁さずでうまくやれよ。そんな今、思ったこと感じたこと僕が見た景色聞こえた音どんなことでも共有したくなる女の子に出会って。27宿曜占星術に書かれていたのは、欠けているところを補え合える正反対の云々。占いなんて都合よく使ってしまえと思う。吹きすさぶ痛いくらい寒い風の通る電車のホームで退屈しないようにと思いながらも気を張らずに過ごした何気ない時間を、そんなこと言われなければ知る由もないけど実はなんだか大層大切に思ってくれていた。こんな風だと思わなかったと言われたけど、その子を強く抱きしめた時に僕の身体がこんなに寂しくて弱くて誰かを求めているということを、知っていたはずだけれど本当に改めてというか、教えてもらったような気がする。初めて、もっと日常を、二人それぞれの普段を二人で一緒に過ごしたいと思う人と出会えた。その人とその人といる自分を大切にする、そのことだけでも大事にしていけたら、これから先の酉年としおとこの2017年は去年よりもいい年になる。野暮なことが言える人なんてそういないさ。もっともっと訳の分からない理屈じゃないおもろい私を再興するために日々生きる、けどそのペースはまわりの人より遅いかもしれない。それでもこんな僕とこれからをまた、よろしくお願いいたします。神様へ。

 

書きなぐり年初め(2月に入ったらもう新年系ワードの使用は控えよう、古い)